「うなぎの街 浦和」を目指して“中村家・浦和のうなぎを育てる会”大森 好治さん

浦和のうなぎを多くの方に広めていきたいと活動する代表の想いとは

さいたま市 浦和区 /「JR浦和駅」 徒歩7分

話を聞いたひと
大熊 あゆ美

━ 何を専門に活動されていますか?
県庁通りで中村家といううなぎ屋を営んでいます。
中村家は、初代の大森林蔵が昭和12年に創業し、今年88年を迎えました。林蔵は、浦和駅西口のさくら草通りで明治初めに創業した本家の中村家で20年以上奉公し、のれん分けを許されました。そのため、うちのお店は、中村家の「支店」というのが正式名称なんです。ただ、本店の中村家がなくなってしまったので、支店は外してもいいのかなとは思ってはいるんですけどね・・。本店は息子が小さいときになくなっているから、なくなって40年以上経つかな。本当ならば続けていくべきお店だったけど、後継者がいなかったんですよね。
のれん分けをするとき、本店の場所とは目と鼻の先じゃないですか。修行した店の近くにお店を出すのは、普通はお客さんをとられちゃうという感覚で嫌がられるんですが、うちは本店と上手に話がついたみたいなんですよ。結構他のお店は苦労しているみたいです。でも近所にうなぎ屋がいっぱいできた方が本当はいいですけどね。うなぎの街に見えるようになりますからね。

今のお店の建物は、当時のままで90年くらいは経っています。うなぎのタレも当時のタレから継ぎ足し継ぎ足しで使っているんです。うちのタレは砂糖よりも、醤油が多めなのが特徴です。

私は、林蔵が死去した年齢と同じ58歳のときに、3代目の長男啓好と次男克敏にお店を任せることにしました。孫は東京のお店に修行に行っています。孫が帰ってくれば、4代目がつながるので、創業100年まで続けられるかな。そうやって継承していかないと、なかなかお店が残っていかないんですよね。
今浦和のうなぎ屋は、15店舗くらいありますが、後継者がいなくて終わっちゃうかなというお店が何店舗があるんですよ。形が残っても経営者が変わっちゃう店舗もありそうです。

浦和のうなぎを育てる会の代表も務めています。
組合は、平成3年に話が出て、26店舗で始めました。平成5年に任意団体として発足し、平成28年3月に協同組合となりました。平成3年~5年までの2年間のうちに、浦和東西のお店を説得したり、協力して一緒に動いていた満寿家の店主がこれからというときに亡くなったりして、大変でした。
「浦和のうなぎ」をもっと広めて、食文化の継承や後継者の育成などの活動を行い、地域の活性化や観光振興に取り組んでいます。協同組合になってからは店舗は13店舗でしたが、今は10店舗まで少なくなりました。10店舗のうち2店舗は岩槻なので、実質浦和のお店は8店舗なんです。なかなか協同組合って作れる会ではないんですよね。でも上手にできたのでちゃんとやっていきたいと思っているんですが、大きい組織に入っていくと、ついていけないところもあるみたいで・・なので無理して増やすこともしないですし、抜けたいお店は無理にとめないんです。

活動内容は、ほとんどがイベントです。浦和のうなぎ祭りや浦和以外だと、函館は9月、浜松は11月と遠いところのイベントにも参加しています。毎回、「うなぎの街 浦和ですよ」と大きくPRしているので、訪れている地域では、だいぶ浦和のうなぎが浸透してきたかなと思います。浦和のうなぎ祭りは今年で22年目になりますし、長く続けてこられました。あとさいたま市のふるさと納税もやっていて、さいたま市は100億円流出してしまっているので、少しでも回収できているのかなと思っています。ふるさと納税の返礼品は、組合の店舗で使える3000円の食事券と冷凍したうなぎです。でも、対象はさいたま市以外の方なので、川口、蕨、越谷、春日部、白岡など近いところからの納税が多いですね。遠い方は、食事券をさいたま市に住んでいる人にプレゼントすることもあるんじゃないかな。あと、うなこちゃんが描かれている湯飲み茶碗とTシャツをセットにしたものも返礼品にしようかと考えています。

「浦和のうなぎの育てる会」と聞くと、うなぎを育てているんですか?とよく聞かれるのですが、後継者を育てましょうという趣旨の会なんです。なかなか後継者が育たない、後継者がいなくて年を取ってくるとお店を閉めないといけなくなってしまうことが多くて、でも一人でやるのは大変な仕事なので、やっぱり家族でやれているお店が残っていけているのかな。うなぎ屋って夏はものすごく暑いし、冬は冷たいし、労働時間が長くてすごく大変な商売なので、諦めてサラリーマンになる方も少なくないんですよ。後継者がいないとなると、こちらからお店に対して何かアクションを起こすことはなかなかできないので、今できるPRを頑張っていくしかないんですよね。

今、協同組合として小学校でうなぎの勉強会も実施しています。小学3年生に教えにいっているのですが、私たちが教えるよりも小学生から教えてもらうことが多くて、驚いています。すごく勉強熱心でうなぎのことを調べてきてくれるんです。このあたりで昔うなぎが捕れたんだよとか、どういう地域だからうなぎが捕れたんだよとか、昔からうなぎを食べている地域なんだよとか、そんな話をしながら、みんなうなぎ食べたことある?と聞くと、昔は手が挙がらなかったけど、最近は手を挙げる子が多いんですよね。そのくらい浦和ではうなぎが幅広く広がってきているんだなと感じます。
また、うなぎを協同組合として小学校に提供していまして、小学6年生の10月~12月くらいの給食にうなぎを出してもらっているんですよ。私たちとしては、先行投資だと思っています。大きくなって給料をもらえるようになったら、最初に何を食べるかねってなっても、うなぎって言ってくれればいいなと思っているんです。

ちなみに、あまり知られていないのですが、昭和45年くらいにうちのお店の1階で洋食屋をやっていたんですよ。よくお店の前にお客様が並んでくれていました。昔は、このあたりでお店の前にお客様が並んでいるところはなかったので、うちが並んで待つ店の先駆者だったんじゃないかな。うなぎ屋が少し衰退していたときに、洋食屋をやってみようとなったんです。7年くらいで今度はうなぎ屋が忙しくなってきてしまったので、洋食屋は閉めたんです。
これまで色んなことをやってきて、前進してきたのかな。


━ 今後の夢や野望、ビジョンはありますか?

中村家としては、創業100年を目指していきます。創業100年になったら、何かイベントでもしたいなと思っています。それと、うなぎの勉強をもっとしないといけないなと思っています。

浦和のうなぎを育てる会では、2年に1回役員の改選というのがあって今年もあったのですが、誰も代表をやる人がいなかったので、今年も私が務めることになったんです。今83歳なので、あと2年85歳までやらざるを得なくて。でもこの2年の間に次の代表、今のところうちの息子についてきてもらって、代表を変わってもらいたいなと思っています。継いだ後は自立してやってもらいます。
うなぎ祭りも会長をやっていてそろそろ変わってもらおうと思っているのですが、詳細まで知っていて、色んな方に協力してもらえる人となると、なかなかできる人がいなくて、私がやることになってしまうんですよね。

組合としての目標、というか私の夢なんですが、浦和でうなぎの養殖場をつくりたいんです。人が集まってくる流れができると思うんですよね。今浜松ではうなぎの養殖ができていて、浜松からうなぎをもらっているので、浦和でもそんな養殖場がつくれないかなと。結構な土地や設備が必要でお金もかかりますし、うなぎの稚魚を買わないといけなくて。漁業さんが稚魚を獲り、生産者に買ってもらってうなぎを大きくして、問屋さんに送るという流れがなかなかできないんじゃないかな。
浜松の生産者がこっちに営業所を設けてくれればいいのかなと思うんですが、実はさいたま市にも鯉平という問屋があるので、その兼ね合いがあって難しいんじゃないかなと思うんですよね。夢で終わってしまうかもしれませんが、実現できたら嬉しいです。
また、組合の店舗数を増やすつもりはないのですが、応援部隊を増やしたいなと考えています。賛助会員ですね。1年間に会費1万円をお支払いいただいて、みんなで協力して応援しましょうよというものです。組合でもっとしっかりした会をつくっていきたいという話をしています。ただ、会員になっていただくには、ふるさと納税の食事券が使えるなど、何か見返りができないといけないかなと思っています。

━ 浦和への想いを教えてください

「うなぎの街浦和」に早くなりたいなと思っています。
新しいマンションに住んでいる方は浦和はうなぎが有名だということを、結構知らないんですよね。地元の方が少なくなってしまっているので、PRしていかないとなと思っています。
うなこちゃんの石像ももっと多くの方に見てもらえると、浦和はうなぎということが広がっていくのかなと思うんですよね。

中村家・協同組合 浦和のうなぎを育てる会

大森 好治
〒330-0063 埼玉県さいたま市浦和区高砂3-2-12
048-822-2585(月曜~金曜:00~14:30 17:00~21:00、土曜11:00~14:00 17:30~20:00 日曜定休)
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