和菓子の味と地域の賑わいを楽しんでもらいたい“高砂や”矢作 幸弘さん

職人の腕が守り続ける味と東仲町での活動をつなぐ店主の想い

さいたま市 浦和区 /「JR浦和駅」 徒歩3分

話を聞いたひと
大熊 あゆ美

━ 何を専門に活動されていますか?

浦和駅前で奥さんと息子と3人で和菓子の製造、販売をしています。私は4代目としてお店を継いでおり、息子は5代目として修行中です。季節に合わせた和菓子を作っていますが、大福や道明寺、どら焼きなども人気ですね。最近では、夏限定でふまんじゅうや葛アイスもあり、お客様に喜んでいただいています。時々、誕生餅のご注文もいただきますが、昔に比べるとだいぶ減りましたね。
こだわりとしては、販売するその日の朝に手作りし、作り置きはしないことや安心して召し上がっていただくために、材料を吟味して添加物保存料着色料をできるだけ使わないことです。春は午前3:00、秋は午前4:00にはお店にきて、心を込めてお菓子を作っています。お祭りの日などは、午前1:00にお店にきて作ることもあります。季節によって作るお菓子の種類や量は異なるのですが、やはり一番売れるのが2月から5月ですね。冬はいちご大福が手間がかかりますが、結構売れるんですよ。以前は、お菓子を作りながら販売していたこともあったのですが、混んでくると大変ですし、お客様との会話も楽しみたいので、今は販売する前に作りきってしまいます。
また、コロナが流行る前は、焼き物として栗饅頭なども売っていたのですが、コロナが流行ってからは贈答品を渡すこと自体が減ってしまって、うちも売れなくなってしまったので、やめてしまいました。そこから、朝作って売る「朝生(あさなま)」の形態に変えたんです。
材料はこの業者と決めては付き合っていなくて、とにかく良い材料を選ぶようにしています。実は同じ小豆を使っていても、年によって豊作の度合いが異なるので、味も変わるんですよね。最初は良いけど段々と悪くなることもありますし。良くない小豆になると、別の業者の味を試してみて、そのときに最高の味を提供できるように心掛けていますね。小豆は北海道で採れたものを仕入れていますが、北海道の中でも地域によって違うんです。もち米も、千葉県や新潟県、宮城県など色々と試してみて、今回はこれと決めて仕入れるようにしています。ただ、すごく高級なものを使用しているわけではなく、これまで試行錯誤を繰り返しながらどの道具で、どの材料を使って、どのように混ぜたりこねたりするのがいいのかを体で覚えてきたので、それが職人の腕というものなのかなと思います。腕があっての味ですからね。
季節に合わせたお菓子は、具体的にいつからこれを作ろうというのは決めていなくて、お客様からこれ食べたいなという声を聞いて、そろそろかなという感じで販売のタイミングを見ています。
また、和菓子は年中売れるものもあるけど、季節ものだと段々と売れなくなってくるんですよね。そのときに販売も終わりにしています。毎日、やっぱり味は変わるので、今日はうまい!って感じられたときは最高です。それに動画やのぼり、イベント企画など、自分でできることが増えてきたので、発信して見てもらったり楽しんでもらえたりするのは、すごく嬉しいです。

高砂やの仕事とは別に、東仲町を盛り上げたいと「東仲町商店会」の役員もやっています。商店会には35歳くらいから関わっていて、ご年配の役員さんと新しくお店を出店したオーナーさんとの橋渡しや新規事業やイベントの企画運営を担当しています。東仲町のお店を紹介するホームページも、1軒1軒訪ねて私がつくっています。

━ 活動をはじめたきっかけや経緯はなんですか?

私は「高砂屋菓子舗」で生まれ育ちました。朝起きたら和菓子製造をしている父と職人さんの仕事を横目に朝ごはんを食べ、学校へ行き、帰ってくると外に遊びに行き、夕食はお店の横のついたての見えない所で食べて、工場をウロウロしていました。高校を卒業する頃からお店が忙しくなり、よくお小遣い目当てで手伝いをするようになりました。それでも、「和菓子屋」という響きが好きになれなくて、大学は工学部の学科に進みました。今考えれば、バイトも入学してからすぐに始めていたので商売が好きだったのかもしれませんけどね。バイトでは、機械工場からウエイター、新幹線の売り子と色々とやりました。しかし、就職活動では、なかなかうまくいかず結構苦労しました。でもなんとかインテリアデザインの会社に内定をいただいてその会社に行こうかなと悩んでいたときに、夢に「おはぎ」が出てきたんです。昔の和菓子屋はお彼岸というと山盛りのおはぎを作っていたのですが、「この味を継いでいきたい、ずっと食べていたい」という気持ちが強くなりました。大学の研究室の教授からは、SE関係の会社に行った方がいいと何度も推薦いただきましたが、和菓子屋を継ぐんだという気持ちが決まったらすぐ、大学卒業前の2月から父とお店に立って、和菓子作りを始めることにしました。
最初は朝早く起きて、昼まで立ち仕事というのが辛くて大変でした。また、当時は卸売もしていたため、紅白饅頭・赤飯が主とお店売りの季節商品がまとまってきていたため、とにかく父の指の動き、手の動きを見ながら習って、数をこなすことに必死でした。現在では、卸売はやめて、大きい注文はなるべく受けず、お店売りを主に行っています。毎日、来店くださるお客様は長くお付き合いいただいておりますので、これからも大事にしていきたいです。

ちなみに、東仲町にお店があるのに、なぜお店の名前が「高砂や」なのかとよく聞かれるのですが、実は昔は線路の反対側の「高砂」にお店があったようなんです。先代の父が付けたお店の名前は、「高砂屋菓子舗」なのですが、ちょっとかたいイメージがあるので、屋号は簡単に覚えていただけるように「高砂や」にしています。

高砂やのはじまりは、何年だったのか、当時は何屋だったのかは、よく分からないのですが、私の父の3代目からお菓子屋をやっているんです。父は東京からきた婿さんで、昔は浦和は婿さんとして来て継いでいるお店も多かったんです。このお店は、18年前に立ち退きがあって、新しく建てたお店ですが、以前は、もう少し広くて、工場とお店が分かれていました。当時は、13年間父と一緒にやっていて、練り切りも作ってましたね。でも練り切りは段々と売れなくなってしまって、正月に大福やいちご大福を売ったら、思いがけず売れたんです。いちご大福は結構手間がかかるので、今度は練り切りが作れなくなってきてしまって。なので、練り切りをやめて大福を作るようになったんです。
父の代から色んな変遷があり、今に至っています。

━ 今後の夢や野望、ビジョンはありますか?

コロナが落ち着いたので、地域のイベントを増やしていきたいです。お店の前でお団子を焼いたり、ガチャガチャを置いたりして、地域の方に楽しんでもらえたらなと思っています。それをやるだけでも結構賑わうんですよね。最近は、本葛桜製造やこしあん製造の様子を動画にして配信しているのですが、もっと勉強して東仲町のお店を紹介する動画を制作したいです。
東仲町でお店を開いて、しっかり真面目に商品を取り扱っていれば、繁盛できる街づくりを進めていきたいです。

━ どんな人にきてもらいたいですか?

今は、老若男女、色んな方にお越しいただいています。新しくマンションに引っ越してきた方や、若い男性も来てくださることがあるのですが、小さい頃に両親や祖父母ときていたんだという方もいらっしゃいますね。3世代できてくださるのは本当に嬉しいです。自宅で食べるちょっとしたお菓子を求めている方に、うちのお菓子を思い出していただいて、気軽に立ち寄っていただきたいです。

━ 浦和への想いを教えてください

マンション建設が目立ちますが、個人のお店を開くスペースは取っておいてほしいです。最近、「浦和ブランド」なんて声を聞きますが、土地が高騰しすぎると街が、元住んでいた住民や個人商店が、壊れてしまいます。その反面、観光に来られる方が少ないのは残念ですね。
浦和には、個人の職人さんがやっているお店がまだまだ沢山あります。最初はとっつきづらく思うかもしれませんが、勇気を出して話しかけてみてください。愛が溢れる方ばかりなので、怖くないですよ笑。会話が生まれることで盛り上がっているお店が多いです。一緒に地域を楽しみながら、盛り上げてくれたら嬉しいです。

高砂やは、気楽に寄れるお店づくりをしています。キャッシュレス決済も可能ですので、自宅のおやつにちょこっとお立ち寄りください。

高砂や(高砂屋菓子舗)

矢作 幸弘
〒330-0056 埼玉県さいたま市浦和区東仲町9-3
048-882-7796(10:00~17:00(月曜日定休))
高砂や ホームページ
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