2人が作り出す「音楽」で想いを届ける“DeuxMarche”Miyackさん・牧千恵子さん

日本や世界を飛び回り、アコーディオンとヴァイオリンの演奏にのせるお二人の想いとは

話を聞いたひと
大熊 あゆ美

━ 何を専門に活動されていますか?
・ミヤックさん
私は音楽家です。2004年に牧千恵子さんとDeuxMarche(ドゥ・マルシェ)というユニットを組んで、私はアコーディオン、牧さんはヴァイオリンを演奏しています。
私は、生まれも育ちもさいたまで、さいたまから音楽大学に通っていました。とはいえ、さいたまだけでやる音楽ではなく音楽は世界に共通するものなので、楽器を持って日本は北から南まで行き、世界の遠いところまで行くこともあります。
音楽というのは、気持ちの表現を伝えるものとして、すごいものなんですよね。言語が通じなくても、その場所で一緒に演奏し合うことで「通じる」ものがあって、音楽は世界共通語かなと思っています。だから、一生大事にしていきたい、表現者として私がやってもよいと神様か仏様かが与えてくれたものだと信じて、音楽を一生かけてやるべき価値のあるものだなと思っています。

その中で出会った横浜在住の牧さんとは良いご縁があって活動を続けているのですが、ヴァイオリンとアコーディオンという音色がとても素敵なんですよね。ヴァイオリンはやっぱり楽器の中で音色が美しかったり、泣いたり、情熱だったり、悲しみなど様々な感情を奏でる素晴らしい楽器だと思います。アコーディオンは1度に10個くらいの音をジャーっと出せる唯一の楽器なんですよ。なので、ヴァイオリンが歌って、アコーディオンがジャーっと演奏することで、3種の神器であるメロディー、リズム、ハーモニーが2人でできてしまうということなんです。だったら、屋根がないところでもホールでなくても2人ならできるじゃないかということで、マルシェのような場所を選ばずどこにでも行くぜというのをコンセプトに繰り広げ、20年以上経ちました。

・牧さん
2人とも東京や色んな場所で演奏するんですが、終わったらさいたまと横浜にパッと別れるというあの生活をいまだにしていますが、逆に旅に行くと2~3週間ずっと一緒にいるときもあります。コロナのときは、遠いところにはなかなか行けなかったのですが、最近は九州に行ったり一関に行ったりと飛び回っています。

・ミヤックさん
何がいいってやっぱり場所を選ばないので、この場所だとこれしかできないよねという音楽の妥協がないんですよね。こちらさえ楽器で100%表現すればそこでクオリティの高い音楽が繰り広げられるんです。聴いてくださる方々もここでこんな音楽が!と驚きと喜びを感じてくださり、また聴きたいと感じてくださるのではないかなと思っています。今日はここにピアノがないからスピーカーがないからこれで我慢してねとか、そういうのがないので、それはすごくいいと思いますし面白いんですよね。

・牧さん
楽器の特性もあって持ち運びが便利ですし、アコースティックなので何も音響などなくても聴いていただける。もちろん音響があればあったでいいのですが、音響がなくても2人で大きい小さいを作って一つの音楽にしますので、そういう音楽が実現できる楽器の組み合わせかなと思いますね。だから皆さん、まあ1回聴いてみてくださいなっていう感じです。でも私たち自身もここで何ができるか、どういう曲ができるかなっというのをずっと模索してきた20年でした。あるときは、お互いの興味のあることに進んでみて曲を選んでみたり、なければオリジナル曲を作ってみたり。オリジナルはバンバン作れるわけではないんですが、充実させていくとやっぱり自分たちの思いと自分たちの言葉なので、それがまた理屈じゃなくて・・私たちは「赤」って伝えているけど、受け取る人は「紫」でも「ピンク」でもいいという感じで、受け手側もオリジナルで伝わればいいかなと最近思っています。この2人でできることを考えてやっています。

・ミヤックさん
牧さんとは、やっぱりうまが合いましたし、2人で活動していると色んなトラブルに遭遇するのですが、2人で同じ風景を見ると自ずと同じ気持ちが生まれるんですよ。食べ物がなくて大変な場所に行ってその痛みを2人で感じると、じゃあここではこうしようとその場その場でわいてくるものが音楽に変わっているんですよね。

・牧さん
ヴァイオリンとアコーディオンで演奏するよと皆さんに伝えたときに、何やるの?ジャンルは何?とよく聞かれるんです。でも音楽ってあんまりジャンル分けしなくていいと思うんです。クラシックの素敵なところはあるけど、ある時それが100%演奏できるわけじゃないことに飽きてしまって。なんか自分はなんだろうと考えたときに、ヴァイオリンはアコーディオンと合うのではないかと気付いて、ミヤックさんと一緒にこれはこう弾けるかなとやり取りしながら進んできました。DeuxMarcheらしくなったのは、少し時間がかかったけど、お互い下地があったので、1回の練習でも舞台に出たり、外国に行って急に演奏したりして、そのときのお客様の反応を見ながら実践を繰り返して、DeuxMarcheとして形を作っていった感じですかね。

ちなみに、ミヤックさんとの元々の出会いは友人の舞台がきっかけだったんです。ミヤックさんがすごくかっこよくて素敵な方だったので一緒に仕事ができたらいいなと思ってお声がけしました。こんなに長く続くと思わなかったけど、続くものですね。

・ミヤックさん
それに、牧さんは美味しいものに妥協がないので、牧さんといると美味しいものが食べられるぞと分かったんです。どんなに疲れていても、美味しいものを食べるためにどこまでも行こうと。そのポジティブさに意気投合してどこに行っても美味しいものを食べれば、疲れも飛ぶねと日々頑張っています。

・牧さん
やっぱり音楽をやるにしても自分自身が元気でないとですし、あることへの喜びが音楽につながることもあると思うんです。

ヴァイオリンって少し上品な感じがするじゃないですか。でもアコーディオンは庶民的な感じはするものの、すごい音の種類があって、揺らぎがあるんですね。神様に近づきたくなるぐらい素敵な曲自体を目指すのも一つの方法だけど、同じメロディーなのになんかこう揺らぎがあったり、色んな音が合わさることで人の心がかき立てられるんじゃないかなと思うんです。お客様の前ではそういう演奏をやりたいなと、ここのところは思います。

・ミヤックさん
具体的な活動についてなんですが、南米には15年にわたり10回は行ったのですが、ペルーの子どもたちの支援として音楽会をやりまして、それがDeuxMarcheの大きなお仕事になっていると思います。その音楽会は「砂漠の一滴会」といって、ペルーは砂漠地帯が多く雨が降らなくて大変なところなんですが、一滴一滴、お水をあげるとちゃんと緑が育つっていうのを見て、子どもたちにも何かの一滴を何かしたら・・・という思いでやったのが「砂漠の一滴会」なんです。今度、そのペルーで「ベンタニージャの水」という曲を演奏するのですが、ベンタニージャ地区というすごく極貧街があって、そこの子どもたちのために作った曲です。

・牧さん
「砂漠の一滴会」は、日本人移民百周年のときにペルーに行ったときに「ちょっとあなたたちこっちへ来て」とお世話をしてくださった神父さんが仰って。砂漠の中に地方から出てきた人たちが転々と住んでいたり、野良犬が死んでいたりと大変な場所だったのですが、教会もあってそこに神父さんが子どもたちを集めてくれて、演奏したというのが最初です。こんな機会1回しかないだろうと思っていたのですが、嬉しいことが2つあって。砂漠なので水がないんですが、ドラム缶の中に入っていた水を私たちの足元に打ち水としてまいてくれたんです。そして、教会に入ったら子どもたちの目がキラキラしていたんです。そんな子どもたちの前で演奏すると、逆に子どもたちからエネルギーをもらって。それからまた行く機会があったのですが、そのときに寄付でお昼をあげられる活動が打ち切られると聞いて、私たちに何ができるだろうと。水というのは命の水ですが、水があれば緑が育ち、子どもたちも育つ。そんな思いを曲の中で伝えられるかなと思ったんです。その曲で集まったお金を寄付という形で神父さんに送るということを始めました。最初からたくさんの水は難しいけど、砂漠も一滴があればその次に二滴もあるからと、そんな想いで「一滴」という活動にしたんですよね。この活動がすごく背骨になったかなと思います。
紛れもなく私たちが見て感じたものが曲になっているので、こんな感じ!と演奏できるんだなと思います。

・ミヤックさん
曲づくりのネタは大事でネタ探しを常にしています。クラシックの傑作をDeuxMarche風にやってしまおうというクラシカルバージョンと、おじさまおばさまや子どもも喜ぶ現代に親しみやすいポップスなもの、懐かしいメロディーをDeuxMarche風にしたらどうかと常に考えながらネタを探してます。そして三本柱の一つとして、オリジナルをつくって、言葉の代わりに音楽で何かを伝えられたらいいなと思っています。
そして、今日はこういうお客さんだからこの曲から出そうかとネタを構成しているという感じです。だから刺激があればどんどんオリジナルを作っていきますが、オリジナルはやっぱりできてすぐに演奏するといよりも、少し時間かけて熟成させないとうまくいかないんですよね。
嬉しいことに、この楽器で旅をすることが多いので、旅先に行くとその土地の匂いや風景の自然を感じたものを取り入れたり、特有な音楽のリズムを取り入れたりして曲にしていますね。

・牧さん
お互いそういう小さな意見を出しながら一曲をつくっていくのですが、曲の方向性が自然と合うんですよね。逆に歌詞がなくメロディーとコードだけで作るので受け手の自由度が高いというのがいいのかもしれませんね。

また、長崎でも活動をしているのですが、被爆者の方のお話を聞く機会があったのですが、お話を聞いてすごくショックを受けました。涙を流して同情するとかではなくて、大々的に反省しました。やっぱり生き証人の話を聞くことは大事ですし、何度か伺う機会があって曲も作ったんです。私たちはさいたまと横浜出身なのに、日本代表として長崎に行ってお花を供えさせていただきましたが、こういう活動をしてなければ絶対なかったことですよね。2011年に長崎市から「長崎平和特派員」に任命されて、その後、スペイン北部ゲルニカ市無差別爆撃80周年記念式典・慰霊祭に長崎市平和特派員として招待されて演奏したんです。


━ 活動をはじめたきっかけや経緯はなんですか?
・ミヤックさん
音楽家を目指すというのは、昭和の時期に誰のうちにもピアノがあって、小学校になるとある日ピアノを習い始めていたというたわいもないものなんですが、音楽大学まではぼーっとただ学んだような気がします。特に両親が音楽をやっていたというわけでもないのですが、小さい頃本当に歌が大好きで、歌番組を見ながら朝から晩まで歌謡曲を歌っていましたね。中学生ではニューミュージックをよく歌っていました。
でもアコーディオンを手にしたことで、もう1回仕切り直して、これを持って音楽でおしゃべりしたいと思ったんです。お話をするかのように楽器で音を奏でたいというふうに思いました。もちろん音楽は元々好きだし、いろんな音楽を聴いたり踊ったり歌ったりはしてましたが、本当に人に届けたいなって思うようになったのは、アコーディオンを手にしてからですね。でも6歳からピアノを習い事としてやっていたので、その時に培ったテクニックの土は耕されてきたんだなと思います。
また、音楽大学では、オペラのピアノを弾いていたのですが、歌の伴奏をするということについては、色々と悩むことも多かったので今に生かされていると思いますね。歌を生かす演奏をしていたわけですが、今は歌をバイオリンで弾き、アコーディオンでその歌を生かしていくという感じですね。

ピアノからアコーディオンに変えた理由としては、ピアノは持って歩けない楽器でして。それに、大学までアカデミックに学んだ割には、社会に出るとピアノを弾くシチュエーションっていうのは本当に少なくて、音楽大学に出た人間がピアノで仕事をするというのは、星の中のひとつであり・・ピアノ環境も決して良くない。特に日本は音楽を生業にしたものを受け入れる窓口がすごく小さいと思っていますし、ヨーロッパのように毎週教会で奏でたり、誰しもが聴きたいと思う音楽ではなくて、なんかちょっと選ばれた感のあるところで、もてはやされる音楽であるっていうのは、ちょっと寂しいですけど、現状かなと思います。
その点、アコーディオンにした結果、それらを打ち破って前へ出るんですね。なんか聴き手にも伝わりやすくなった音色を持っていて、これならいけるかもっていうふうに思いましたね。

そもそもアコーディオンとの出会いは、ピアノを弾いているときにフランスへ行く機会があったのですが、地下鉄の中にアコーディオンを持った人が入ってきて、アコーディオンを演奏し始めたのがきっかけなんです。「パリの地下鉄ミュージシャン」という、一時少し有名になったのですが、世界中から色んな楽器をパフォーマンスしている人がたくさんいて、その中のひとつにアコーディオンがあって、私はその電車の中でアコーディオンを聴いたときに「これだ!」と思って買って帰りました。それが30歳のときなので、それからピアノの仕事をしつつ、夜な夜なアコーディオンを練習し、出産も経て子育てをしながら、アコーディオンも育てていました。子どもが幼稚園いくぞというときには、自分もアコーディオンを持って人前に出ていこうと活動が始まりました。だから子育てとほとんど並行して、アコーディオンがあるかなと思います。子どもも大きくなり、結婚して家庭を持っているので、自分もアコーディオンはそういうところへ来たのかなと感じています。
なので、ピアノからアコーディオンに変わっていく姿を牧さんがずっと傍らで見守っていただきつつ、生きながら音楽をする。牧さんの人生も20年、30年と色んな波があるじゃないですか。そういうのをお互いに見てるからこそ、2人の音にその人生の味わいがミックスされて、素敵なDeuxMarcheになっているのかなと思いますね。じゃあ聴いてみようという風になってもらえたら嬉しいですね。

━ 今後の夢や野望、ビジョンはありますか?
・ミヤックさん
この音楽というものを持っていると、本当に自分では初めての場所にも行くことが叶うんです。なので、さいたまにいながらも、さいたまのみならず、音楽を持って日本またはもっと遠いところにも行けることが叶ったし、これからもそうでありたいと思います。

色んな場所に行くとなると、その場所のことを教えてくださったり、自分で調べたりして学ぶんです。長崎についても歴史を勉強したり、今まで読んだことのなかった隠れキリシタンの本を読んでみたり・・そうしていくうちに曲ができたり、じゃあ今度はローマに行ってみようとか、どんどん繋がっていくんです。
「音楽の武器」ですかね。これがあるから、色んなところに行って、そこでまた得るものがあって。平和でないと音楽ができないならば、平和という名のもとに色んなところに行きます。日本だと災害が多いですが、復興といっても人の気持ちはそんな一年や二年じゃ癒されないから、じゃああえてそういうところへ2人で行って元気づけにいこうかと。去年は結構そういう活動をしたのですが、今後も続けていきたいですね。
やってることがすごくグローバルなんですけど、 2人がやってることは単なる音楽市場で、2人で立って弾いてるというシンプルなもので、応援してくださる方が増えたらいいなと思います。以前、障害のあるお子さんがいる支援学校に行くこともありましたね。

さいたまは生の音楽を聴いて楽しむというカルチャーがあまりないのかなと感じます。音楽の聴き手を育てるっていうのは、やっぱり数多く小さなコンサートがあちこちであるっていうのがすごく望ましいので、小さいコンサートをいっぱいやっていると、大きいものをやった時にじゃあ今日はそっち行こうかってなるので、いきなり大きいものだけ持ってきても人は動かないと思うんです。人が集まらないともうだめだねってなってしまう。そういう場所をたくさん作り出していけたらいいなと思っています。さいたまは大きくなってしまったので、なんとなく人任せになっているようか気がして。前は大宮、岩槻、浦和、与野とそれぞれもうちょっと自分の地域で頑張ろうという意識があったと思うんですがね。大きくなってしまった都市ほど難しいけど可能性がある気がしています。

・牧さん
さいたまでも団体や行政でも、音楽ができる枠やシステムを作ってもらえるとそこにふさわしい方々が来れるし、機会があれば私たちもですし、これから活動される方々のチャンスにもなるのでいいかなと思っています。

━ どんな人に聴いてもらいたいですか?
・ミヤックさん
老若男女どなたでも聴いていただきたいですね。元気な方もそうでない方も、聴いてみたらきっといいことあるよ!と言いたいです。

・牧さん
普段はあんまりコンサートとか行かないけど、昼間なら行ってもいいかなとか、アコーディオンだったら聴いてみようかなとか、一歩踏み出してみてほしいですね。

━ さいたま市への想いを教えてください
・ミヤックさん
ちょっと温和な人柄の多いところだなと思います。さいたまは東京にも近く本当に便利なところですが、その便利さゆえにちょっと甘んじてしまっていて、少し人任せなところがあるなと思っていますし、それは自分にも言えるところがあります。さいたまで根を張って、ここから立ち上がるぞという気持ちを持たなければ変わらないのかなとも思っているので、自分があともう少し活動をやっていける体力を蓄えて続けていきたいです。

ヴァイオリンとアコーディオンで難しい音楽をやるのかな、ちょっとそれはいいやって思う方がいたら、いえいえ、そんなことはございません。ふたりならではの工夫でお伝えするマルシェは、難しくも簡単でもなく、必ず楽しい1日になるのでぜひ迷ってる方は、その迷いを外してください。

・牧さん
フランスで6月20日に「音楽の日」というのがあり、商店街の入り口では教会クワイアが歌っていたり、真ん中あたりでは、ラップを歌ったりハーモニカを吹いていたり、そんな日があるんです。6月20日はどこでも音楽ができるという日なんですが、そこに私たちも乱入したことがありました。あと、ゴールデンウィークに東京の丸の内で「ラ・フォル・ジュルネ」という音楽祭があるのですが、その浦和版とかあるといいのになと思います。この日だけはここで気軽に演奏してもいいんだよみたいな日が作れたらいいですよね。

よくお客様からは、聴いたら元気になるっておっしゃっていただくことが多いので、ぜひ元気になりにいらしてくださいね。

DeuxMarche

Miyack(渡辺美和子)・牧千恵子
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